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ポルソナーレ式イメージ切り替え法 NEWSLETTER 第231号
11期15回め平成21年9月12日
脳の働き方と言語の学習回路/浅見鉄男「井穴刺絡・免疫療法」

脳の働き方のメカニズム・おとなと子どもの脳の発達のさせ方
再生と変革のための日本語の能力
「数学入門」(上)(遠山啓)

エクササイズ:「超日本語」の学習モデル

はじめに

 ゼミ・イメージ切り替え法、中級クラス、スーパーバイザーカウンセラー認定コース、Aクラス、41のゼミをお届けします。
 「精神分裂病」をテーマにして、日本型の分裂病についてレクチュアしています。
 精神分裂病は、「言語への不適合」が原因で起こります。(ドイツ、H・ミュラーの学説)。
 日本人は、弥生時代につくられた日本語の文法を今も用いています。すると、日本語の文法が、日本人の分裂病の症状をつくり出していることを明らかにしています。そこで、日本語をどのように使っていくのがいいか?が問題になります。

ポルソナーレ代表田原克拓

本号の目次

  1. なぜ、新しい日本語の能力が必要か?
  2. 「信用の収縮」が日本の実体
  3. 日本人は、人間関係にシバられて不適応に陥る
  4. 今の日本は、鎌倉時代・室町時代の状況と同じ
  5. 日本人は、人間関係で必ず孤立する
  6. 日本人の社会意識は「文法」でシバられている
  7. 日本人は、新しい状況に立つと、そこから真の危機が始まる
  8. 日本人の不適合は日本語でつくられる
  9. エクササイズ、超日本語の学習モデル
  10. 中立表現と客観表現のマスターの仕方
  11. エクササイズ・超日本語の能力の演習
脳の働き方のメカニズム・おとなと子どもの脳の発達のさせ方
再生と変革のための日本語の能力
「数学入門」(上)
(遠山啓、岩波新書よりリライト・再構成)
なぜ、新しい日本語の能力が必要か?

 平成21年9月現在。

 昨年の平成20年9月にアメリカの大手証券会社、リーマンブラザーズが破綻しました。これは「アメリカ発の金融システムのバブルの崩壊」のことでもあります。

 その後、一年が経過しました。平成21年9月初めのニュースでは、「日本の製造業の生産水準は、前年比でマイナス86・9%」の水準にとどまっています。「失業率」は「5・7%」という最悪の数値になっています。

 日本の現在のこのような状況をどう考えればいいのでしょうか。

 まず考えるべきことは、「日本の製造業の生産水準は、前年比マイナス86・9%」の水準にとどまっているということの意味です。ご存知のように、日本の製造業の生産の商品は、アメリカやヨーロッパへの輸出向けとしてつくられてきました。

 輸出の製品に関連する製造業の生産がマイナス86・9%に縮小したということです。

 このことを角度を変えて見ると、金融システムのバブルという期待価値によるイメージが、縮小した86・9%分の生産と収益をもたらしていたということになります。

 問題は、日本人は「金融バブルがつくった市場」に依存していたのだ、ということよりももっと深刻なテーマにあります。

 それは、「世界同時景気後退」としてつづいている日本の経済社会の大きな縮小のことです。

 「バブル経済の崩壊」とは「投資先が無い」ことを根拠にした「マネーの量の膨張」の信用の収縮のことです。この本質的なメカニズムは、「収縮した信用」を何によって回復するのか?を日常的に問いかけています。それは、国家財政のマイナスを埋めるとか、雇用の回復とか、社会福祉費の安定した支出とか、若い世代の未来の安定した社会生活の提供といったことであるでしょう。

「信用の収縮」が日本の実体

 しかし、このような問題は、日本ではすでに10年も前から浮上していました。

 すると、今、おおくの日本人が見ている「世界規模の金融システムの信用の収縮」という現実とは、日本人が、これまで放置してきた「投資の放置」という問題のことです。「放置しない」ということへの「投資」が、今、日本人の誰にも求められている共通のテーマです。

 「放置しない」ことへの「投資」とは「行動することの能力」を伸ばすということです。

 すでにお伝えしているとおり、「行動」には「言葉」が必要です。日本人は、「日本語」で「行動のこと」を考えます。

 この「行動するための日本語の能力があるのか?」と問いかけてみると、「ある」と評価される人はごくごく少数です。「行動するための日本語の能力」とは、どのように自己測定できるとお思いでしょうか?

 分かりやすい例として「失業」のことを考えてみましょう。

 平成21年9月現在の今、日本の失業率は「5・7%」という公表数字です。

 この「失業の数字」は、二通りの方向から生じています。一つは、自発的な退職です。もう一つは、企業による「希望退職の募集」に応じた結果の退職です。この二通りの状況で考えられる失業した人の共通の意識は、「今まで、自分はこれこれこういう仕事をしてきた。だから、自分の得意とする仕事に就く」というものでしょう。これが失業した人の一般的な意識のあり方だとすると、ここで問われる内省的な問題があります。

 それは「それならば、一体、なぜそれまでの仕事から離れようと思ったのか?」ということです。これは、日本では「団塊の世代の大量定年退職後の組織の問題」にもあてはまります。その問題とは、「リーダー不在」や「仕事を介したコミュニケーションの不全」という問題です。

 何が共通するのかといいますと「人間関係への適応」ということが共通項になります。

 国語学者・大野晋の説明によると、日本人の「社会性の場(空間)」は、次のとおりのメカニズムになっています。

日本人は、人間関係にシバられて不適応に陥る

@ 日本の古代社会では、「生活の場」「仕事の場」を「内」(うち)と「外」(そと)とに明確に区別してきた。
内(うち)…親子、夫婦という人間関係にあるものが共同して住んでいる。この人たちは、家の回りに垣根をつくって囲っている。この中に住んでいる。それらの人たちは互いに親しみ合い、お互いに溶け合って一体感をもって暮らしている。「内」(うち)とは、自分を中心にして自分の回りに輪を描いたその内部のことをいう。

A この内(うち)という輪を拡大すると「村全体」のこともいう。「自分の村」を「他の村」に対して「内」(うち)という。

B さらに「内」(うち)を拡大すると「自分の国の全体」を「他の国」に対して「内」(うち)と扱う。この「内」(うち)の中では、それぞれお互いに親睦し、それぞれの人間が安心して能動的に行動することができる。

C 「外」(そと)とは、具体的には垣根の外のことだった。宮廷ならば御殿の「みす」(透けて見えるすだれ様のたれ幕のこと)の外をいう。
家の垣根の外にいる人、外にあるもの、外にある景色、山でも川でも雲でもみんな「外扱い」にする。人間でいえば、奈良時代には「トヒト」という言葉があった。ト(外)ヒト(人)といえば、現代の言葉でいうと「外部の人」にあたる。都の人にとっては「田舎者」という意味だった。
ト(外)とは、「自分の知らない者がいるところ」「恐ろしいものがいる所」「妖怪がいる場所」のことだった。

D 言葉づかいでは、これにぴったりと対応する言葉があった。
代名詞の体系である。
内を指すコレ系の代名詞…「ここ」「これ」「こなた」「こち」。
外を指すカレ系、アレ系……「かしこ」「かれ」「かなた」。後になって「あしこ」「あれ」「あなた」。

E 外(そと)は、恐怖の対象のいる所でもある。だから「外のもの」は遠ざける、付き合うまい、とする。「尊敬の対象」も「外のもの」として取り扱った。
日本人は、ある人間を尊敬する基準は、親しみや相手の理解の成熟によって「尊敬」へと発展していくものではない。
だから、欧米のように、ある人間のもつ知的な中身や実績によって敬意をもつということはない。日本人は、「恐怖」「畏怖」の対象にたいして、「かしこまり」や「隔て」をおく態度をとることで「敬意」を表した。相手と人間的な交わりをもたず、浸透していくことをせず、相手から遠ざかり、相手に触れまいとする。

今の日本は、鎌倉時代・室町時代の状況と同じ

F 『万葉集』がつくられた頃は、東国は、大和地方の人から見ると「外の国」だった。
大和地方の人は、東国を文化の後進地域と考えていた。
東国の人は、蔑視されていた。東国の人の言葉はピーチクパーチク鳥が鳴くようだと言っていた。
平安時代になっても東国の人の言葉は「舌が曲がっているようだ」と言っていた。
だから東国の人は、なにかにつけ自分を卑下して「が」を使っていた。
都の人は「の」を使っていた。
「君が行く道」(万葉三七二四)
「みどり児の乞ひ泣くごとに」(万葉二一○)
「日の暮るるまで」(万葉四八五)
「神の命の敷きいます国」(万葉三二二)

G 鎌倉時代になると、固定的に区別されていた「内」と「外」の意識が混乱してくる。奈良、平安時代を通じて日本の国の支配権は、天皇家を中心とする貴族が保っていた。
貴族の代表の藤原氏の権力が弱体化して崩壊した。
武士の力を借りなければ、自分たちの権力争いを鎮めることができないという事態になる。
鎌倉時代になると「源頼朝」が鎌倉に幕府を開く。「東国の力」が「西国」にも及んで全国に「守護」「地頭」を置いて軍事的に支配するということが起こった。

H これは日本の社会にとっては、大きな力関係の変動であった。古い身分関係がこのあたりで崩れてきた。それまでの固定的な身分関係の上下関係が変化した。
新しい秩序はまだ確立していない。
したがって、人々は、「相手が自分をどう扱うのか?」について、互いに非常に過敏になった。

I 鎌倉時代の当時は、西日本の人も「自分が低く扱われること」があった。
下層民、東日本の人々も、むやみに「自分を低いもの」と扱わずに、「相手を低く扱う」という場合があった。「無意識」の身分関係の混乱が起こってきたということだ。
そこで、「相手」が「自分」をどう扱っているのか?について人々の対人意識が過敏になった。

日本人は、人間関係で必ず孤立する

■この大野晋ののべる当時の日本の状況は、現在の日本の状況によく似ています。もっとも、現在の日本人の対人意識は、本ゼミの『初級コース』でご説明しているように、「明治時代」になってから始まり、現在に至っています。要点を整理すると次のとおりです。

  • 日本人の社会は、生産や、対人関係のサーヴィスの能力の高度化とともに変化してきた。
  • 日本の社会の変化は、日本人の「言葉」の『能力』の高度化にともなって、具体的なものになった。「行動」には、必ず「言葉」が必要であるという本質にもとづくものだ。
  • しかし、日本人の対人意識の基本の「相手」は「自分」をどう扱うか?(「上か下か?」「遠い存在か?近い存在か?」という関係意識)は、変わらなかった。
    それは、弥生時代につくられた日本語(和語・やまとことば)の『文法』によって規定されている。
  • 時代と社会の「変化」とは、固定されていた「制度」の変化のことだ。しかし、この「変化」は、日本語(和語・やまとことば)の『文法』も変化したが、「日本人の対人意識の基本」の「上か、下か?」「遠いか、近いか」の「扱い方」によって支えられていた。
    この『対人意識のメカニズム』は、現代の日本人の社会でも変わっていない。

 日本人の「社会」における意識は、「変化した社会の現実」と「人間関係の対人意識」との二つで二重になっています。それは、日本語(和語・やまとことば)の『文法』によくあらわされます。このことに注目することは、現在の日本人にとって非常に重要です。

 この問題をより明確に理解するために、大野晋のいう「時代と社会の変化」にともなう日本語の『文法』の変化と変わらない「対人意識」の実例をご紹介します。

日本人の社会意識は「文法」でシバられている

J 『宇治拾遺物語』に「佐太」(さた)という侍(さむらい)の話が書かれている。あらましは次のようなものだ。

  • 「佐太」は、たいした身分でもない侍(さむらい)だった。佐太は、自分の着ていた「水干」(すいかん)(注・狩衣(かりぎぬ。現代のチョッキのようなものの一種。胸ヒモでとめる。古くは、民間のふだん着。水に浸して引っぱった絹で作った服のこと)がほころびた。
  • 「物縫い(ものぬい)の女」がいた。もとは「京女」だった。
    だまされて田舎につれてこられて居ついた女だ。
    「佐太」は、この「物縫いの女」に気があった。なんとか気を引こうと思っていた。そこでこの「物縫いの女」のところへ行き、着ていた「水干」(すいかん)を投げ込んだ。
  • だがこの「物縫いの女」は「水干」を直さず、佐太に投げ返した。
    「直せ」といったほころび目に「歌」が書いて結びつけてある。

われが身は竹の林にあらねども
さたが衣を脱ぎかくるかな

この歌は、故事をふまえてつくられている。「薩(さつ)た太子」が飢えた虎に自分の身を与えて虎を救ったという仏教の有名な故事だ。太子は、自分の衣を脱いで林にかけた。
そして、虎の前に自分の身を横たえて、食わせた。
京女であった「物縫いの女」は、仏教の説教を聞いていて、この説話を知っていた。「薩(さつ)た」と「佐太(さた)」との音が通じ合うところから、この故事をふまえて歌をつくった。

「自分の身は、あの薩(さつ)た太子が衣を脱いでかけたという竹の林ではない。それなのに佐太(さた)が衣を脱いでかけてくる」。

当時の日本語の水準を示すこの表現の言葉に、「佐太」(さた)は届いていなかった。だから、「人間関係」の問題としてとらえて激怒した。佐太(さた)は、こう反撥した。
目つぶれたる女人かな。ほころび縫いにやりたれば、ほころびの絶えたる所をば、見だにえ見つけずして、「さたの」とこそ言うべきに……何ぞ、わ女め、「さたが」と言ふべきことか…。
(「宇治拾遺物語」九三)

  • 田舎侍の佐太は、無作法な態度で「自分の着物のほころびを直せ」とほうり込んだ。女の気を引くつもりだった。
    だが、京女としての誇りをもつ「物縫いの女」は、その無作法を相手にしなかった。そこで、仏教の説話をふまえて「正当な人間関係のあり方」を求めてつきかえした。それが「薩(さつ)た」ならぬ「さたが衣を脱ぎかくるかな」という歌だった。
  • だが、佐太(さた)は、当時の日本語の知性の水準には届いていない。だから齟齬(そご)をきたした。せっかくの好意をもった女への気持ちも瓦解する。
    日本語(和語、やまとことば)の『文法』に構成されている対人意識の行動パターンの意識を表象させた。
    「自分は、『が』で扱われた。本来は、『の』で扱われるべきではないか。とんでもないことだ。あの『わ女め』(バカ女めが!!)」。
  • このエピソードは、古いパターンの文化の中で育った「物縫い女」と時代と社会の必然的な変化の中でたまたまその位置についた男が「これが自分の社会的な地位だ」という錯誤との対立を活写している話だ。
    当時の「社会状況」とはどういうものであったか。
    平安時代までは、「貴族」「官僚」が社会的地位は高いと思われていた。したがって「近畿地方」の人々の「位置」は高くて、「東国の人々」の「位置」は低いという観念があった。このように「人間の上下関係」の意識が固定していた。だから、お互いに使うべき言葉が決まっていた。それが『の』『が』の言葉であった。
    だが、「院政時代」から「鎌倉時代」にかけて古代社会の身分関係が崩壊してきた。
    「東国の武士」は活動し、「鎌倉幕府」が支配権をとるという下克上(げこくじょう)の時代に向けて進行していく。「下層の人々」とされた人たちの生産技術は向上した。商品の種類も増えて流通も拡大する。
    相手のニーズに応えるという社会的な対人関係の能力とともに「経済の資産」が増えた。
    利害や対立をくみとる会話にともなう経済の成長が、対人関係の新しい土台になる。
  • 新しい人間関係がつくられようとする社会では、「佐太」に象徴される人間は、自分に対する相手の「待遇の仕方」が気になる。無意識に思わせるのが日本語(和語、やまとことば)の『文法』だ。
    「佐太」の時代と社会には、相手を接し分ける『が』と『の』という区別があった。鎌倉時代、室町時代の人々は、この『が』と『の』の使い分けに敏感だった。室町時代に日本に来て布教のために日本語の研究をした「キリシタン」の一人、「ロドゲリス」の書いた『日本大文典』が残っている。
    「他人を軽んじて侮るときには『が』を用いる。多くは、その前に『め』『ら』などの助辞を挿入する。『次郎めが』『あいつが』と表現する」。
  • この時代の作品である『平家物語』では、『の』は、第一級の存在法皇、関白、大納言に用いている。『の』は敬意をあらわした。『動詞』にも敬語を使っている。
    だが、「外(そと)扱い」の「人々」、「者」「女」にも『の』を使っているが『動詞』には敬語は使っていない。「天魔」「悪縁」には『の』が使われている。
    だが、『が』は「軽蔑の対象」だけでなく、どんな対象にも「尊敬」とは無関係だと扱うときは『が』を使うという方向へと用法が広がっていく。

大きなるほむらが三町五町をへだてて戌亥の方へ筋かへにとび越えとび越え焼け行けば
(巻一内裏(ないり)炎上)
この卒塔婆(そとば)がもろこしのかたへもゆられ行かで
(巻二卒塔婆(そとば)流)

「ほむら」や「卒塔婆」は無生物だから、以前は「外扱いの対象」だった。だから『の』が使われていた。だが、『平家物語』では『が』で承(う)けている。
『が』は、非尊敬の対象ならば、何でも承(う)けるようになっている。

日本人は、新しい状況に立つと、そこから真の危機が始まる

■日本語(和語・やまとことば)の『文法』は、「人間関係」に収斂(しゅうれん・縮めたり、縮まること、が意)して成り立っていることがよくお分りいただけます。

 同時に、人間以外の対象にも、「内か、外か」「遠いか、近いか」の認識の仕方が敷衍(ふえん・押し広げること。意味のとりにくいものを分かるように言い替えること、の意)されるのが日本語(和語・やまとことば)の『文法』の特性です。このことをご理解ください。

 現在の日本の現実は、大野晋が紹介している「鎌倉時代」や「室町時代」とよく似ています。時代と社会が、それ自体の必然によって終わり、大きく転換しているところが共通しています。

 共通していることは、「日本語・和語の文法」のメカニズムについても同様です。

 もし、『宇治拾遺物語』に出てくる「佐太」と同じように新しい時代と社会に適応できない「日本語」(和語・やまとことば)しか身につけていなければどうなるでしょうか。

 「H・ミュラー」(ドイツ)のいう「その時代、その社会の最も知性の高い言語との不適合になる。それが分裂病の原因である」という『不適合』の原因になるでしょう。

日本人の不適合は日本語でつくられる

 「不適合」とは何のことでしょうか。「その時代と社会の言葉が曖昧であること」「曖昧に憶えること」です。(H・ミュラーによる)。

 日本語(和語・やまとことば)の『文法』の最大の特徴は、「曖昧性」にあります。

 日本語の「曖昧表現」の例について金田一春彦は、次のように説明します。

  • (清涼飲料水のコマーシャル)
    「缶ごとグッとお飲みください」
    (缶が、口に詰まらないのか?)
  • 「あそこのかどのお寿司屋さん、おいしいですよ」
    (お寿司屋さんを食べるのか?)
    ◎日本人は、このように言葉を切り詰める。簡単に言っても相手に「通じる」と思うからだ。
  • 「いやよいやよと首を振る」(歌謡曲『松の木小唄』)
    ◎「いやよいやよ」とあるが、本当は愛情をもっていることを歌っている。
  • 高知県の方言学者「土居重俊」の説明では、高知県の各地に「形容詞」を反対に使うところがあるという。
    大きい→「小さい」の意味
    小さい→「大きい」の意味
    高い→「安い」の意味
    安い→「高い」の意味
    ◎これで間違いが起こらないかと心配になる。よほど相手の「気持ち」を知り合っていることになるのか。
  • 東京でも同じように反対の言い方をすることがある。
    「こんないい格好(かっこう)で」→「よくない格好をしている」
    「上等なお膳で」→「粗末な料理を運んできました」
  • 他人への配慮の表現
    「お風呂がわきました」
    「ごはんが出来ました」
    ◎欧米語では、「あなたのために私が○○をした」という表現の仕方になる。日本語は「雨が降ってきた」とか「小鳥が勝手に飛んで来た」のように、自然現象のように「自然成立」の言い方をする。
    「お茶碗(ちゃわん)が割れました」
    ◎正しくは「お茶碗を割りました」。「割れました」は、「茶碗の方で勝手に手から滑り落ちて割れた」という表現になる。

■大野晋は、このような「省略表現」は「内なる人間関係とだけ会話し、外なる人間とは人間関係をとりきめようとはしない」ということから生じる表現形式である、と説明します。

 これが「主観的表現」ということです。

 日本語の「主観的表現」は次のような「文法形式」をつくり出します。
 「雨が降った」
 「ここにあった、あった」
 「ああ、驚いた」
 この文例のケースでは「た」が問題になります。「過去をあらわす『た』」と「現在の感情の持続をあらわす『た』」は、同じ助動詞の『た』が用いられます。

 これも「主観表現」のパターンです。日本人は「過去・現在・未来」という時間性の変化、持続という客観的な観念が「曖昧である」ということの実証例になるでしょう。

エクササイズ 超日本語の学習モデル

 このような「主観表現」の対策は次のとおりになります。

『数学入門』(上)(遠山啓)(岩波新書より)

  • 「このかごの中にリンゴがいくつあるか?」というが、「このバケツの中に水がいくつあるか?」とはいわない。「水」のほうは「いくら?」という。
    このように「いくつ」と「いくら」の間には明らかな違いがある。
  • 「リンゴ」は、一つ一つが離れている。独立して存在している。
    このように客観的にとらえる。
    このようなものの集まり(集合)を数えるときは、「いくつ」という。このようなものを「分離量」という。
    人間の集まりも、鳥の集団も、棒の束もすべて「分離量」である。一つ一つが互いに離れているからだ。分離量を数えたらその答は、いつも、1,2,3,4…という自然数(もしくは、正の整数)になる。
  • 「水」のように「いくら?」と測れるものは「連続量」という「バケツの中の水」は一つ一つが離れていない。一つにつながっている点に特色がある。
  • 「分けること」と「つなぎあわせること」の自由にできるものが「連続量」だといってよい。
    だが、「分離量」と「連続量」との違いは決して絶対的なものではない。
    「何ヤールの布地」というときは連続量だ。それを仕立てて何着かの洋服にしたらそれはもう「分離量」と考えなければならない。
  • ロシアの話にこういうのがある。
    ある老婆が3人の孫に、二つのジャガイモを分けようとしたが、うまく割れない。そこでジャガイモをスープにした。スープを3人の孫に分けて飲ました。老婆は、分離量であったジャガイモを、スープという連続量に変えた。
  • 人間が、木の実をとったり、野獣を狩ったりすることで生命をつないでいた時は、分離量を数えるだけで足りていた。
    自然数だけで、1,2,3、と数えられていた。だが、農業、牧畜が発達すると集団的な行動や生活が盛んになる。すると連続量の考え方が要求されただろう。
    10人で7匹のシカを捕えたら、その分配は7匹分の肉を10等分する必要が起こる。それを他の物と交換するには分割可能な連続量と考える方が自然である。
    穀物の量、田畑の面積、道路の道のり、などが必要になるだろうが、それは全て、連続量なのである。
中立表現と客観表現のマスターの仕方

■日本語の文法のもつ主観的表現とは、「雨が降った」「東京へ行く」などのように「動詞」で文が終わります。「動詞文」といいます。

 遠山啓の文章は、エピソードの説明以外は「分離量である」「連続量である」というように「名詞」や「形容詞」で終わっています。

◎例
「10等分する必要が起こる」。
「それは全て連続量なのである」。

 これが「客観的表現」の例です。
 遠山啓による「客観的表現」は、「抽象名詞」や「抽象形容詞」という「中立表現」で成り立っています。「中立表現」とは、公平な第三者の位置から見た表現のことです。「三次元の角度、距離、方向」を表現する文のことです。

中立表現」の例
1.「集合を数えるときはいくつという」
2.「このようなものを分離量という」
3.「人間の集まりも、鳥の集団も、棒の束もすべて分離量である」

 ここにある文例は、「AはBである」という文型です。「形式形容文」ともいいます。

 中立表現は、次の文法形式で可能になります。

@説明、もしくは伝える相手という対象は、何か?(これが文の主体になる)。

 「中立表現」を可能にするのは、文章の全てを「動詞文」で終わらせないことが「条件」です。

 そのためには、一般法則を表現する「抽象の名詞」(「分離量」「連続量」「等分」「必要」「集団」「交換」「穀物」「面積」「道のり」などの概念です)の水準で文章を表現することが「前提」になります。

 「客観的表現」とは、遠山啓の文章に則していうと「因果を説明すること」(叙述といいます)、「説明の経過を説明すること」のことです。

 遠山啓は、この「客観的な叙述」によって「数えること」とその「対象」を叙述(じょじゅつ。ものごとの有様(ありよう)を、順序だてて書きあらわして述べること、の意)しています。
 
 時代と社会が大きく転換している日本で、今、日本人に求められている日本語の表現の能力を具体的に示すと、次のとおりです。

エクササイズ・超日本語の能力の演習

「後藤式文章の技術」(後藤禎典。PHP研究所)よりの「日本語の文章」の演習問題

◎悪い文例
A・「特別選抜コースに入れば、東京大学にストレートで合格する」
B・「2100年に世界の人口は100億人を超え、多くの国が食糧危機を抱える」

◎良い文例
A・「特別選抜コースに入って頑張れば、東京大学にストレートで合格するだろう」
B・「2100年に世界の人口は100億人を超え、多くの国が食糧危機を抱えるだろう」
「2100年には世界の人口は100億人を超え、多くの国が食糧危機を抱えると考えられる」

◎中立表現による「客観的表現」の文例
A・「特別選抜コースというものがある。東京大学にストレートに合格することを意図した学習訓練コースだ。これまでの実績ではストレート合格者は5人である」
B・「2100年になると世界の人口は100億人になるという試算がある。100億人の世界人口は、現在の食糧生産量では20億人相当の食糧が不足することになる」。

◎日本語の文章能力向上のためのアドバイス

  1. 日本語は、助動詞によって主観表現になります。そこで、助動詞を名詞を叙述する「基準表現」に変えることです。
  2. 日本語は、形容詞や副詞による表現によって量や程度をあらわして主観表現に陥ります。
    (「多くの」「ストレートに」「越える」など)。このような表現をしりぞけて「相当」とか「試算」「推計の数値」で客観性の叙述をおこなうことです。
  3. 重要なことは、特定の相手、特定の団体に向けた位置関係の文章は、日本語の「内」「外」の文法に規定されて、自分の自我の主観による表現になる、ということです。「不特定多数」の相手を想定した社会性のある抽象の「名詞」と「形容詞」を概念として用いる文章表現のトレーニングが必要です。
  4. このような日本語の表現の訓練によって、現代版「鎌倉時代」「室町時代」の変動を乗りこえていけるでしょう。

ゼミ・イメージ切り替え法 NEWSLETTER 第231号 一部掲載

関連
分裂病の解体学・VII 日本語の主観・客観・中立表現の構造


連載
前回:分裂病と無縁の日本語の表現術 「後藤式文章の技術」
次回:客観表現のための日本語の能力とはどういうものか「ハーバード流交渉術」

参考:脳の働き方の学習のご案内

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女性の「脳を健康を働かせる」!安心と安らぎを分かち合う、が教育のテーマと目標です。「気持ちが安心する。だから、知的に考えられる」という女性の本質を支えつづけるカウンセリング術です。

女性の脳の働きが伸ばす「人格=パーソナリティ」を目ざましく発達させる!が教育の方針です。 女性が社会性の世界(学校・仕事・社会の規範・人間関係のルール・合理的な思考)と、知的に関われる!を一緒に考えつづけるカウンセリング術です。

ストレスを楽々のりこえる女性の「脳」を育てる!!が教育の人気の秘密です。女性は、脳の働きと五官覚の働き(察知して安心。共生して気持ちよくなる)とぴったりむすびついて、一生、発達しつづけます。


脳と行動の診断

人の性格(ものの考え方)が手に取るように分かる「心の観察学」

心の病いに感染させられない「人間の関係学」がステキに身につきます。

心の病いを救出する、心と心をつなぐ「夢の架け橋術」

相手に好かれる「対話術」がまぶしく輝くので、毎日が心の旅路。

相手の心の働きのつまづきが正しく分かって、「正しい心の地図をつくれる」ので、損失、リスクを防げます。

性格のプロフィールが分かるから正しく「教え・育て・導く」ができる本物の社会教育の実力が身につきます。


よくある質問

学校に行くとイジメがこわいんです。私にも原因ありますか?

怒りっぽいんです。反省しても、くりかえしています。治りますか?
脳と心の解説

「仕事・人生・組織に活かすカウンセリング」です。他者の心身のトラブルを解消できれば、自然に自分の心身のトラブルも解消します。

プロ「教育者」向けのカウンセリング・ゼミです。
人間は、誰でも「気持ちが安心」しないと正しく「ものごと」を考えられません。

「脳を最大限に発達させる」が教育の狙いと目的です。「指示性のカウンセリング」とは、 「一緒に考える」「共感し合って共に問題を解決する」カウンセリング術です。ものごとには「原因」(脳の働き方)があるから「結果」(心身のトラブル)があります。

「脳の健康を向上させる」、が教育のテーマと目標です。「指示性のカウンセリング」は、「考えたことを実行し、考えないことは実行しない」 という人間の本質を、最後まで励まし、勇気づけるカウンセリング術です。

脳の働きがつくる「人格=パーソナリティ」を育てる!が教育の方針です。
「指示性のカウンセリング」は社会性の世界(学校・仕事・社会の規範・人間関係のルール・合理的な思考)と正しく関わる!を一緒に考えつづけるカウンセリング術です。

ストレスに強い、元気に働く「脳」に成長させる!!が教育の魅力です。
「指示性のカウンセリング」は五官覚(耳、目、手、足、鼻)を正しく発達させて、言語の能力も最高に発達させるカウンセリング術です。


脳と行動の診断

「心の病いの診断学」が楽しく身につきます。

心の病いの予防と解消の仕方の「人間の理解学」が身につきます。

心の病いに気づける「人間への愛情学」が驚くほど身につきます。

「交渉術」の知性と対話の能力が目ざましく進化しつづけます。

相手の心の病理が分かって、正しく改善できるので心から喜ばれます。「心の診断術」

病気になるということ、病気が治るということが正しく分かる、最高峰の知性が身につきます。


よくある質問

朝、起きると無気力。仕事にヤル気が出ません。うつ病でしょうか?

仕事に行こうとおもうと、緊張して、どうしても行けません。治りますか?
バックナンバーの一部を9期後半分より、随時掲載していきます。
詳しくは下記をクリック
 ゼミ・イメージ切り替え法
 バックナンバー第7期まで
 バックナンバー第8期から
 ゼミ・イメージ切り替法の詳細
 ゼミ・イメージ切り替法トップページ
 自立した女性の性と家庭教育ゼミ
 カウンセラー養成ゼミ
 バックナンバー第7期まで
 バックナンバー第8期から
 カウンセラー養成ゼミ詳細
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 戦う男性の社会教育ゼミ
入会も随時受け付けています。
入会と同時にご希望のバックナンバー等、ビデオ(DVD)学習で、学んでいただけます。


ゼミの見学、ゼミのバックナンバービデオ(DVD)試聴も無料です
ニューズレターと共にお送り致します。 詳しくは「入会案内」をご覧下さい。
ポルソナーレのゼミの様子をYouTubeに公開しました。

脳を発達させる日本語トレーニングペーパー

一部公開しました。
トップページ NEW! 年間カリキュラム 学習の感想と学習成果 「日本人の思考」と「谷川うさ子王国物語」と「グローバル化の恐怖」
学習内容(サンプル) 「言葉」 日本語の影響。その仕組みと感情、距離感、人間関係について
「脳を発達させる日本語トレーニング・ペーパー」の役立て方の資料
『分裂病の自己診断表と自己診断』
男性に嫌われない女性の話し方
女性に嫌われない男性のしゃべり方
を教えます

ポルソナーレのマスターカウンセリング

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脳の働き方 百物語
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「第19期」(平成29年・2017年)ゼミ、開講中!
受講生の皆様へ 平成25年冬版 ポルソナーレからの真実の愛のメッセージ
受講生の皆様へ 平成25年5月5日 版 ポルソナーレからの真実の愛のメッセージ 詳しくはこちら!
ポルソナーレ代表
 田原ごあいさつ

 
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時代の病理デウスドクター初期ノート ハンナ・アーレントの哲学入門 『人間の条件』 谷川うさ子
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