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ポルソナーレ式イメージ切り替え法 NEWSLETTER 第182号
9期14回め平成19年8月25日
脳の働き方と言語の学習回路/浅見鉄男「井穴刺絡・免疫療法」

高村智恵子と倉橋由美子の
恋愛と結婚


『恋愛について』(中村真一郎・編)
『高村光太郎詩集』(高村光太郎)

はじめに

 ゼミ・イメージ切り替え法、中級クラス、スーパーバイザーカウンセラー認定コース、Cクラス、No.4のゼミをお届けいたします。
 今回の学習テーマは、恋愛と結婚を事例にして日本人の「脳の働き方」をお話します。「脳の働き方」の中でも、「無意識」といわれる脳の働き方です。
 高村光太郎の詩集から「高村智恵子の恋愛と結婚」、中村真一郎の編による「恋愛について」から「倉橋由美子の恋愛と結婚」をご紹介して、「無意識の脳の働き方」をお話します。日本人の恋愛と結婚について二人の女性が体験をとおして語ります。二人の女性がぶつかった「脳の働き方」が現代では、どうなっているのでしょうか。注目してください。

ポルソナーレ代表田原克拓

本号の目次

  1. 恋愛と結婚の病理は、脳の働き方を正しく分かることでそのしくみがよく分かります。
  2. 「無意識」について正しく理解しましょう。
  3. 日本人の「恋愛」「結婚」は「無意識の表象」でおこなわれています。
  4. 「愛」とは「左脳・ブローカー3分の2の書き言葉」がつくる価値と意味の表現概念です。
  5. 「愛と結婚に関する六つの手紙」 (倉橋由美子『恋愛について』)
  6. 倉橋由美子は、「愛」を一貫させることで「女性」と「男性」の価値を創出しました。
  7. 「智恵子抄」より(『高村光太郎詩集』)
  8. 日本人の「恋愛」と「結婚」は、「言葉が無い」から「行動停止」を生み、「負の行動のイメージ」をお互いの関係の中に交流させ合います。
高村智恵子と倉橋由美子の恋愛と結婚
『恋愛について』(中村真一郎編・岩波文庫よりリライト・再構成)
『高村光太郎詩集』(高村光太郎・岩波文庫より再構成)
恋愛と結婚の病理は、脳の働き方を正しく分かることでそのしくみがよく分かります。

 フランスの哲学者ミシェル・フーコーといえば『言葉と物』『狂気の歴史』の主著でよう知られています。フーコーは哲学の考察のスタートで『精神疾患とパーソナリティ』(一九六二年)を書いています。
 フーコーは、『精神疾患とパーソナリティ』(ちくま学芸文庫、中山元訳)の中で、「これまでの精神疾患を扱う学的な立場は、身体と観念(心や精神)との間をどうつなげるか?で論争し、対立してきた。だが、本当は、精神疾患はその人間についての思索のうちにしか存在しないものだ」という主旨を書いています。「物理」(生理的身体のことです)と「観念」(心や精神)との間をつなぐグレーゾーンも含めて精神疾患を正しく記述しなければならない、というものです。このグレーゾーンとは、「無意識の領域」のことです。
 これまでこの「無意識」というものはどう説明されるのか?が全くの手つかずの状態でした。比喩的に「氷山の一角」が自覚的な意識のことで、「海面下に隠れて見えない氷山」が無意識だ(フロイド)とのべられたままになっています。フーコーはここを衝いて、フロイドの研究をおこなっています。
 この「無意識」ということが正しく説明しきれていないところで、「薬物療法」や「作業療法」のような、物理としての面から精神疾患を抑えこもうという「学的な知性」が起こり、現在に至っています。フーコーのいう「身体という物理と心や精神という観念の間にあるグレーゾーンの無意識とはどうなっている?」という問いかけは圧倒されて、誰もが見向きもしなくなって現在に至っています。
 「無意識」とは何のことでしょうか?

「無意識」について正しく理解しましょう。
 「右脳」だけに思い浮べられるイメージのことです。この「右脳」だけに思い浮ぶイメージのことを表象(ひょうしょう)といいます。
  人間が「話す」、「行動する」という時、この「右脳」だけのイメージの思い浮べだけでは「話せない」「行動できない」ということが起こります。無意識とは「右脳」のブローカー言語野の3分の1のゾーンに、感情や欲求、あるいは欲望のイメージが、そのイメージ自体の法則性にしたがって次々に広がり、深くなっていく働きとその状態のことをいいます。「行動」が起こるためには、「左脳」で言葉を学習して憶える必要があります。「左脳の言葉」を話したり、書いたり、そして「行動」にあらわすことを「表現」といいます。
  「恋愛」や「結婚」は、本当は「この人とこういう性愛の関係をもちたい」という「左脳」の「言葉」が学習されていればここに病理が生まれる余地は全くありません。
  しかし、実際の恋愛や結婚では、「左脳の働き」に感じるストレス、行き詰まり、孤独や孤立の淵に追い詰められているという動因(どういん・ことがらを引き起こすときの直接の原因の意)を根拠にして行動としてあらわされています。「大脳辺縁系」のいくつかの中枢神経が伝達物質やペプチドホルモンを分泌させると、これが「欲求」「生」(なま)の感情のイメージをつくります。この欲求や感情にむすびつきそうな対象(特定の人物)が「後付け」としてくっつけられます。
日本人の「恋愛」「結婚」は「無意識の表象」でおこなわれています。

 日本人の恋愛や結婚は、「無意識」という脳の働き方としておこなわれているのです。
 日本人の時代と社会の中の「恋愛」と「結婚」の行動の変遷(へんせん)について中村真一郎(詩人、小説家、評論家)は、こんなふうに書いています。

  1. 昭和10年代は、時代が軍国主義的な色彩がつよくなり、言論の自由はしだいに狭められていった。その引き締めは性風俗にも及んだ。兄妹であろうと肩を並べて戸外を歩くと交番に引っぱっていかれた。
    一般に恋愛そのものが犯罪扱いされた。
  2. 第二次大戦が敗戦となった。アメリカ軍が日本を占領した。アメリカ軍は日本の精神的武装を解除するために封建主義打倒、男女平等、女性の独立などという近代の「人権宣言」の思想をもちこんだ。
    これが若い世代に大きな共感を得た。
    昭和になってから10年以上にわたって軍国主義による抑圧を受けていた感情の自然さと自由さは突然に解放された。ジャーナリズムは、いっせいに恋愛と性の自由を書きたてた。
    それは洪水のように壮観だった。
  3. 敗戦による日本経済の崩壊とインフレが中産階級の多くの娘をアメリカ兵のための娼婦に転落させた。全国の米軍各基地に見られた彼女たちの大群は一般市民よりはるかに豊かな生活物資、食糧、衣類を手に入れた。これが売春という行為にたいする罪悪感を一般民衆の間から取り除いた。
  4. 戦前には、女性の生涯にたいして致命的な打撃となった離婚も、それまでのように、女性に不当な忍耐を要求できなくなったために、多発した。離婚は、女性にとって不名誉でもなんでもなくなった。
  5. 敗戦後の日本の恋愛の自由は、いろいろな混乱を生んだが、同時に、精神と感覚の解放をもたらした。政治的にも旧来の枠を急速に破壊して革命的な方向に、若者をかりたてていった。この時期、戦争直後の恋愛論は、したがってほとんど革命論であるといっていい。
  6. 日本の経済が再建されて国民意 識が中産階級化してくると、社会の改革よりも日常生活の維持に人々の関心が移る。一時は、恋愛結婚は、戦前の見合結婚への反逆であった。また、人間性の自然に従った進歩的行為だった。これが変化した。恋愛は、単に愉しい遊びになる。結婚は有利な条件を見つけて計算するという一種の商行為になった。
     こういう風潮にたいして、たとえば富岡多恵子に見られるような、しばしば同性にたいしての厳しい、嘲笑的な批判が生まれた。
「愛」とは「左脳・ブローカー3分の2の書き言葉」がつくる価値と意味の表現概念です。
 日本人の「恋愛」と「結婚」の第二次大戦以降の考え方と行動の仕方がよく分かる説明になっています。「独立」「自由」という「人権宣言」の思想がアメリカ軍によって持ち込まれた結果、「性的欲求の実現の自由」「生活物資を手に入れるために恋愛をおこなうという独立」「愉しい遊びとして恋愛を楽しむ個人意識」といったふうに、「恋愛」と「結婚」がその「行動」にむすびつけられています。
 ここには、「恋愛」という言葉や「結婚」という言葉にたいして何の知的な考察など加えられてはいなかったことが、富岡多恵子らによる「同性」の「女性」への批判となったと中村真一郎はのべています。
 では、自由、独立、見合いなどの制約をまともに受け止めた日本の女性の「恋愛」と「結婚」の言葉とはどういうものだったのでしょうか。
 倉橋由美子は、自分の「恋愛」にもとづいて、こんなふうに書いています。
「愛と結婚に関する六つの手紙」
(倉橋由美子『恋愛について』中村真一郎編・岩波文庫よりリライト・再構成)
  1. わたしにはまだ結婚の経験がありません。わたしが結婚しないのはその必要がないからですけれど、これはわたしだけの特別な事情によるので、ほかの人々にわたしの場合もあてはめても、たいして意味がないように思われます。
  2. 子ども時代のわたしにとって、結婚とはまず「お嫁入り」でした。人形のように顔を塗り着飾った花嫁がもらわれていくあの「婚礼」という儀式の、どこか残酷な晴れがましさ、こっけいさ。この「人身御供」(ひとみごくう)を人々は無遠慮に眺めます。にこりともしないで。小さなわたしは「お嫁さんなんかにはならないわ」とつぶやきました。
  3. 性と愛とは一つのものですが、それは、結婚という器には入りきらないものだというのがわたしの考え方なのです。「恋愛結婚」という言葉に高い価値をおきたがる考え方にも、わたしは懐疑的です。結婚とは、人間の社会生活の細胞を作る方法であり、しきたりではないでしょうか。性もまた、この結婚によってこぢんまりとした家庭生活の一部となります。
  4. 結婚の問題は、なによりも「生活」の問題です。それはかならずしも「愛」を条件としません。あるいは、「愛」があればその果実として出てくるというものでもありません。この場合、結婚は、愛の死滅のあとに始まる共同生活でありここで必要なものはもはや愛ではなく、人間としての聡明さや妥協の技術なのです。
    結婚しようと考えていらっしゃる方は、その目的にふさわしい手段を求めるべきですし、それには男性が自分の職業を選ぶのと同じように、計算も慎重さも必要となってくるでしょう。
  5. あなたがまだ若くて、結婚をそれほど身近に感じていらっしゃらないとすれば、「あたし、一生お嫁になんかいかないわ」と宣言していた少女……あなたもその一人かもしれません……が大きくなってもなおその考えをもちつづけていることに、多少の興味をおぼえられるでしょう。
    一度、このむだとも思われるおしゃべりにつきあってみてください。結婚なさるにしろ、なさらないにしろ、あなたにはまだいろんなことを考えるひまがおありでしょうから。
  6. Fへの手紙(1953年10月17日。昭和28年。17歳)
    ?Fさん、あなたってオランウータンよりも鈍感なかたですね。あなたのうぬぼれの毛皮ときたら、引きはいで、ハンガーに吊るしてお目にかけたいくらい。
    というふうに、思いきりののしってあげますから、少しは傷ついてください。無理なお願いでしょうか。
    わたしもじつは、あなたの鈍重さにはほとんど絶望的になっているのです。
    あなたはわたしに結婚の申し込みをなさいました。メルシィ!!でも、わたしをいったいなんだと思っていらっしゃったのでしょうか。生まれてからちょうど17年目の日に、最初で最大の、とっぴょうしもない茶番をあなたと一緒にやらされたのだと思うと、わたしはとさかまでまっ赤になる思いです。(このとさかとは、わたしの自尊心みたいなものです。おわかりですか?わたしは、かんかんになっているのです)。
    ?ある日、満員の汽車のデッキに立って、あなたは突然、わたしにささやきました。「しばらくぼくと一緒でなくてさびしかっただろう?」というせりふ。ああ恥かしい。主語を言いまちがえたのか、なにか文法的な誤りだったのか、と思いましたけれど、そうではなかったのね?たしかにあなたは本気で、あのとおりにおっしゃったのです。よくまあ、あんなことがまじめくさって言えたものです。ネアンデルタール人みたいなお顔をして。失礼ね、と叫んで一発おみまいすべきでした。
    あるいは日ごろの笑い病患者のわたしらしく、げらげら笑いだすべきだったのです。
    ?さて、脱線ごめんなさいね。わたしは、これまでのおつきあいを通じて、あなたが喜劇的で魅力のない男性、わずらわしいだけでとてもお相手しきれない男性であることがわかったと申し上げたかったのです。
    ?あなたは、あくまでもわたしを愛していると信じこんでいるでしょうけど、愛せない人から愛されるほど迷惑なことはありません。
    「Fさん、やっぱりこのお手紙を出すのはよします。あなたをこんなふうに傷つけなければならないとしたら、それよりもあなたのうぬぼれや執拗さをいましばらくがまんするほうを選びたいと思います」。
  7. Kへの手紙(1955年10月4日。昭和30年。22歳)。
    ?わるいのはわたしなのです。怖いのは、わたしの中のわたし、仔猫のようにあなたの胸にもぐりこもうとしかねないわたしなのです。ずるいのは、そのわたしに紐(ひも)をつけて見張っているわたし、臆病なわたし、たった二つの母音を投げつけることのできなかったわたしです。口から出したとたんに電撃を受けて死ぬ決心なしにはそれをあなたに捧げることはできませんでした。今は申し上げることができます。愛していました……そしてあなたはわたしを愛してはいらっしゃらないと、と決めました。
    ?お探しになってもだめです。これからどこへ行こうとしているのか、わたしにもわからないのです。さようなら。
  8. Kへの手紙(1955年10月13日。昭和36年。22歳)。
    ?K、あなたは、わたしの愛のとりこになったのよ。驚いた?怖くない?
    後悔しない?「愛」が、わたしのからだに化けて、あなたをとらえる生きたわなになるなんて、想像もしていなかったのね?そしてわたしもわたしのそんな能力のことを知らなかったのです。
    ?あの日、あなたと別れてからわたしは瀬戸内海で死のうとして死ねなかったのでした。家に帰って、お見合いをしたのです。あなたへの愛を絞殺することに成功したつもりのわたしは、日頃のシニカルで快活なお面をつけてお見合いをしたのです。まじめにしていようとすれば噴き出しそうになるし、力を抜くと眠くなりました。そんなお見合いでした。
    ?結婚生活という「捕虜(ほりょ)収容所」が、あなたへの愛を衰弱させるなんて不可能に決まっていると悟りました。愛は、その本来の犯罪性に目覚めて脱走の愉しみを望むようになるでしょう。
    ?お見合いのあと、「家」との長いしんどい「植民地独立」のための交渉がつづきました。わたしはやっと「解放」されました。
    これからわたしは働くことになります。
    こうなったことをわたしはよかったと思っています。「家」という殻(から)つきでないわたしを、むきみのわたしを、あなたにさしあげることができるなんて、すてきでしょう?
    ?わたしは結婚なんてほしくなかった。
    あなたとの結婚なんて考えたこともありませんでした。もしあなたが結婚という形で愛を打ち明けてくれたとしたら、わたしはとまどい、頑固に顔をそむけて逃げ出したことでしょう。わたしがほしかったのはあなたの愛、わたしを生きかえらせる奇蹟だったのです。結婚なんて毎日の生活のなかでこの奇蹟を偽装してたもつための行事ですもの。
  9. Kへの手紙(1961年2月3日。昭和36年。28歳)。
    ?わたしたちはあまりに長い間愛しあっているうちに、それとは知らずに、事実上の結婚生活にすべりこんでしまっていたのです。というのも、日常生活のなかでの愛の電圧低下、倦怠、エゴイズムの復活、といった結婚生活の結果が、形式上の結婚なしにすべて生じていたのですから。この上、形式的に結婚を完成することによって、なにをつけくわえることができたでしょう?
    ?愛は必ず挫折する、とあなたはサルトル風に言いました。最初は冗談として、むしろわたしたちの場合だけ例外なのだという確信の裏返しとして、しかししだいにシニヌムの響きをおびた、事実の確認として。それとともにわたしたちは、それまで愛と信じてきたものが二人の演技によって成りたつ虚偽にすぎなかったように思いはじめたのでした。
    ?この愛の変質とは、わたしとあなたの間では、セックスがカッコに入れられてしまったということ……セックスを封印した愛、それもしかし、愛と呼ばれる関係にはちがいありません。わたしたち、あのわいせつで神聖な性のエロスを使いはたしてしまったわたしたちにとって、セックスなしの愛が、ありうるただひとつの愛のかたちなのです。わたしは、性の交わりだけに愛の完成を求めるという錯誤をくりかえしたくありません。性は、愛の完成ではなくて、愛のない性は、その虚しい崩壊の祭式なのです。
    ?わたしはなにがいいたかったのでしょうか。さようならを言おうとしていたのでしょうか。そしてわたしは、それが言えないのだと分かりました。わたしはKなしには生きていけないのです。
    これは「愛」を証明しているのでしょうか。わたしのすべてを知りつくしていらっしゃるあなたなしに、わたしは存在することができないのです。
    これから長い間、はなればなれになってしまいます。あなたが生きていらっしゃるかぎり、わたしも生きます。
  10. Rへの手紙(1961年12月26日。昭和36年。29歳)
    ?はっきり「non」と申し上げておくべきでした。わたしは、この辛い言葉を避けるために、あなたの結婚の申し出をはぐらかしてばかりいました。
    ?男の方は、あなたもそうです…なぜ女への愛の告白を結婚の申し込みという手続きで代行したり、完成させようとなさるのでしょうか。
    その女を愛しているのではないからです。男の方が愛と思いこんでいるのは、じつは自分の生活への夢であり、その夢の設計図の中にこの女を書き入れてみたいという思いこみです。だから愛は結婚と同一であるのです。
    そして女の方も、結婚の申し込みを男の愛の証明とみなして、この申し込みを受けいれることで自分の将来に向かって生活の設計のレールをしこうとします。
    自分の自由や可能性を「生活の設計図」に投資するのです。これは、愛を証明することでも完成することでもありません。もしあったとしてもその愛を変質させ、死なせ、愛の墓碑にするのが「結婚」です。最初から愛なんてなくてもよかったのです。
  11. Rへの手紙(1962年1月7日。昭和37年。30歳)
    ?あなたが、わたしへの愛を信じていらっしゃるのが、わたしにはお気の毒でなりません。けれど、わたしは何人もの男のかたを愛することができないのです。あなたの愛、そして結婚の申し込みについて考えるまえに、わたしは、ある一人の人間のためにそれを考えてみなければなりません。
    わたしは今も、その人を愛しているのだと申し上げておきたいと思います。
倉橋由美子は、「愛」を一貫させることで「女性」と「男性」の価値を創出しました。
 倉橋由美子の、17歳の頃から自分の「愛」という言葉に一貫してこだわっていることがよく分かる「文章」をとりあげてご紹介しました。
 倉橋由美子の考える「愛」とは何でしょうか。「心が生きられるために、遠くの位置からその価値を認めてどこまでも近づきたいと願うもの」と「右脳」にイメージされています。「愛」とは何のことでしょうか。「山を愛する」「自然を愛する」「海を愛する」という言い方をします。
 「パチンコを愛する」「ゲームを愛する」「性を愛する」という言い方はしません。「愛」とは、「右脳」のブローカー言語野の3分の2のゾーンに「イメージ」として思い浮べられる「意味」としての形象像のことです。目の前にあるもの、手に触れて接触できるものは、即座に自分と同化するものなので「愛」ではなくて、「好きなもの」という対象になるのです。倉橋由美子は、「恋愛」の相手を「遠くの位置」から見て、この遠くの位置から見たときの意味のイメージを「右脳」に喚起できる場合にのみ「愛する」という言い方をしています。これは「左脳」の前頭葉の眼か面からドーパミンを分泌させます。この「距離をとった関係」のために「結婚」という形式を自分の恋愛とは区別したのです。
 日本型の「結婚」は、「私は右手、あなたは左手ね」というように初めから「距離をなくすこと」をテーマにして成り立っています。血縁関係をベースにして、「一心同体の関係をつくる」というのが日本人の明治以降の「結婚」という言葉につけられた意味です。これは「愛」ではないということばかりではなく、「距離をなくすこと」がテーマになっているので、男性ないし女性の「大脳辺縁系」の中の生(なま)の感情や生の欲求にむすびつけられたコトバだということができます。
 倉橋由美子は、「愛」とはどういうものか?ということを「左脳のブローカー言語野の3分の2のゾーン」の書き言葉でハッキリさせるために「結婚」という「距離をなくす」という関係のあり方を拒否して遠ざけているのだといえます。
 「愛」とは、「対象」を遠くの位置に見て、ここから受け取る喜びを意味にして「右脳のブローカーの3分の2のゾーン」に「意味のイメージを思い浮べること」が定義です。
 「恋愛」には、必ず「性の関係」が介在します。この「性の関係」は、「性の3分の1」を恋愛だと考えれば、それは、大脳辺縁系の中の「生の感情」や「生の欲求」とむすびついて「距離が無いこと」を「愛の正しいあり方だ」と認知します。しかし、ここには「生の感情」や「欲求」の実現としての「記号」としての言葉(恋愛ないし結婚)はあっても、「性の関係」や「結婚」が実現すると、男性と女性のそれぞれの、お互いへの関わりという「行動が停止する」のです。当然、男性と女性の、お互いのお互いへの「話しかけ」(言葉がけ)も止まります。倉橋由美子は、「愛」ということ、および「愛の消えていく必然としての結婚」ということについてこんなふうにのべているのです。
 中村真一郎によれば、第二次大戦とその前の日本と、その後の日本では、「恋愛」と「結婚」についての意味のとらえ方は大きく違っている、ということです。しかし、これは倉橋由美子にいわせしめると、「男と女の関係の在り方」を「距離の無いものとしてとらえる」という一点においては何ら変わるものではない、ということになります。「距離がない関係」とは「母系制社会」をベースにした「女性が右手の位置に立つ」(男性は左手の位置。即ち、擬制の子どもの位置に立つ)という関係の在り方のことです。ここでは、倉橋由美子にいわせると「性のマンネリ化」「性さえあればよい」「お互いの関係は、男と女の関係ではなくなった……きょうだいの兄と妹、姉と弟のような関係に変質する」というように、「行動停止」「言葉の無い関係」になる、これが「愛というものが無くなった真実の姿である」ということになるのです。
 倉橋由美子が警戒した「恋愛」の中の変質、それは「事実上の結婚生活」の中からつくり出される「行動停止」(言葉が無い状態)とは、いずれかがいずれかに服従するという封建制社会の中の男女関係の遺制もあらわに浮上させるものだということでした。また、それは高村智恵子のように、心の病いを浮上させることもありうる、と警戒されたのです。
「智恵子抄」より
(『高村光太郎詩集』(岩波文庫)より)

あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは、
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

値(あ)ひがたき智恵子

智恵子は見えないものを見、
聞こえないものを聞く。
智恵子は行けないところに行き、
出来ないことを為(す)る。

智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず
わたしのうしろのわたしに焦(こ)がれる。

智恵子はくるしみの重さを今はすてて、
限りない荒漠の美意識圏にさまよひ出た。

わたしをよぶ声をしきりにきくが、
智恵子はもう人間界の切符を持たない。

レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白いあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山てんでしたような深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿(さ)した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

梅酒

死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱(よど)んで光をつつみ
いま琥珀(こはく)の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳(かお)りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。
狂瀾怒とうの世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻きにする。
夜風も絶えた。

日本人の「恋愛」と「結婚」は、「言葉が無い」から「行動停止」を生み、「負の行動のイメージ」をお互いの関係の中に交流させ合います。
 高村光太郎による「智恵子」についての詩を見ると、結婚してからしだいに分裂病になっていき、やがて死んでいった「智恵子」の経過がよく分かります。
 倉橋由美子が17歳の時から警戒した「日本人の結婚」というものはこういうものだったのです。
 「愛がない」ということではなくて、「愛」は、「現身」(うつしみ)の自分ではなくて「わたしの後ろのわたしに焦がれる」というように見えはじめるのが「日本人の恋愛」から「結婚」に至る中での「愛」であったのです。
 なぜ、「愛」というものがなければならないのか?ということは、みなさまにもよくお分りのとおりです。
 「愛」というように「相手を遠くの位置に見て、その相手の価値を認めてどこまでも近づきたいと願う」という「脳の働き方」がなければ、「私は右手。あなたは左手なのよ」という血縁関係をベースにした無意識の「支配」と「被支配」の関係にならざるをえないからです。相手とつねに同化しつづけたいと男性と女性の双方が欲求して、そういう感情をもちつづければ、互いが相手に依存し合うという「甘え」の関係になります。
 これは「日本人の対人意識」のモデルに即していうと「子ども意識」に退化するということです。
 倉橋由美子のいう意味の「愛」という言葉が「恋愛」や「結婚」の中に無いということは、「恋愛」と「結婚」の中の「行動が止まる」ということです。これは「負の行動のイメージ」を「右脳」につくり出します。「不快である」「自分にとっての利益がない」というのが「負の行動のイメージ」です。
 これが「男性」も「女性」も、「自分の子ども意識」の頃の「不安」「不利益」のイメージと記憶にむすびつけられます。それは「自分は安心させてもらっていない」という不安と記憶であるでしょう。
 「オペラント条件づけ」によってこういう「過去の体験」の記憶が「右脳」に想起されるということは、「自分が悪い」と責められている体験の記憶か、「自分は見捨てられる」という体験の記憶かのいずれかが表象されるということです。高村智恵子は、この両方の「負の行動」のイメージと記憶の想起をくりかえしおこない、自分を滅す「依存」の延長の彼方に「自分の愛」を見つめたのです。

 智恵子、彼方へ飛ぶ。

ゼミ・イメージ切り替え法 NEWSLETTER 第182号 一部掲載

連載
高村智恵子と倉橋由美子の恋愛と結婚
脳の働き方のメカニズム・死に至らしめる病「うつ病」
「東京・秋葉原、無差別大量殺人」の病気の脳の働き方
日本人の鬱病の脳の働きの起源 「鬱の力」
脳の働き方・病気の言葉の『意味』と行動 『鬱の力』
子どもの崩壊の起源「母の叱り方・父の叱り方」

参考:うつ病を治すカウンセリング

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プロ「教育者」向けのカウンセリング・ゼミです。
人間は、誰でも「気持ちが安心」しないと正しく「ものごと」を考えられません。

「脳を最大限に発達させる」が教育の狙いと目的です。「指示性のカウンセリング」とは、 「一緒に考える」「共感し合って共に問題を解決する」カウンセリング術です。ものごとには「原因」(脳の働き方)があるから「結果」(心身のトラブル)があります。

「脳の健康を向上させる」、が教育のテーマと目標です。「指示性のカウンセリング」は、「考えたことを実行し、考えないことは実行しない」 という人間の本質を、最後まで励まし、勇気づけるカウンセリング術です。

脳の働きがつくる「人格=パーソナリティ」を育てる!が教育の方針です。
「指示性のカウンセリング」は社会性の世界(学校・仕事・社会の規範・人間関係のルール・合理的な思考)と正しく関わる!を一緒に考えつづけるカウンセリング術です。

ストレスに強い、元気に働く「脳」に成長させる!!が教育の魅力です。
「指示性のカウンセリング」は五官覚(耳、目、手、足、鼻)を正しく発達させて、言語の能力も最高に発達させるカウンセリング術です。


脳と行動の診断

「心の病いの診断学」が楽しく身につきます。

心の病いの予防と解消の仕方の「人間の理解学」が身につきます。

心の病いに気づける「人間への愛情学」が驚くほど身につきます。

「交渉術」の知性と対話の能力が目ざましく進化しつづけます。

相手の心の病理が分かって、正しく改善できるので心から喜ばれます。「心の診断術」

病気になるということ、病気が治るということが正しく分かる、最高峰の知性が身につきます。


よくある質問

朝、起きると無気力。仕事にヤル気が出ません。うつ病でしょうか?

仕事に行こうとおもうと、緊張して、どうしても行けません。治りますか?
バックナンバーの一部を9期後半分より、随時掲載していきます。
詳しくは下記をクリック
 ゼミ・イメージ切り替え法
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 自立した女性の性と家庭教育ゼミ
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 戦う男性の社会教育ゼミ
入会も随時受け付けています。
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ゼミの見学、ゼミのバックナンバービデオ(DVD)試聴も無料です
ニューズレターと共にお送り致します。 詳しくは「入会案内」をご覧下さい。
ポルソナーレのゼミの様子をYouTubeに公開しました。

脳を発達させる日本語トレーニングペーパー

一部公開しました。
トップページ NEW! 年間カリキュラム 学習の感想と学習成果 「日本人の思考」と「谷川うさ子王国物語」と「グローバル化の恐怖」
学習内容(サンプル) 「言葉」 日本語の影響。その仕組みと感情、距離感、人間関係について
「脳を発達させる日本語トレーニング・ペーパー」の役立て方の資料
『分裂病の自己診断表と自己診断』
男性に嫌われない女性の話し方
女性に嫌われない男性のしゃべり方
を教えます

ポルソナーレのマスターカウンセリング

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「第19期」(平成29年・2017年)ゼミ、開講中!
受講生の皆様へ 平成25年冬版 ポルソナーレからの真実の愛のメッセージ
受講生の皆様へ 平成25年5月5日 版 ポルソナーレからの真実の愛のメッセージ 詳しくはこちら!
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